一度聴いたら忘れられない旋律で構成されている楽曲ボレロ。曲名を知らない人がいても、曲を聴いたことがない人は滅多にいないのではないだろうか。この映画は、作曲家ラヴェルがスランプの中でボレロを生み出す経緯を軸に物語が動いていく。
1928年のパリ、スランプ中のラヴェルはダンサーのイダからバレエ曲を依頼されるが、全く作曲が進まない。環境を変えたり音楽を創るきっかけを様々なものから探そうとする。しかし、なかなか曲はできない。
ラヴェルは、親友のシパ、シパの姉でラヴェルのミューズともいえるミシア、敬愛する母や、気配りのできる家政婦、音楽を理解する友などに囲まれて暮らしている。孤独を感じているかもしれないが、周囲の気遣いや愛情に包まれて音楽に没頭できる恵まれた環境だといえる。
そんな中で苦しんだ末に出来上がったバレエ曲「ボレロ」。依頼したダンサーのイダは気に入り、オペラ座での上映にこぎつけるのだが、ラヴェルはそのバレエが扇情的すぎて下品な演出が許せない。しかし観客は音楽を絶賛し、今までラヴェルを厳しく評価していた批評家も、はじめて彼を褒めるのだった。
この映画で面白いなと思ったのは、スランプに陥りながらもちょっとしたリズムや音階をラヴェルが見つけていく過程の表現だ。映画を観ている私たちの多くは、すでにボレロの完成形を隅々まで知っている。そして早くラヴェルの頭にそのメロディやリズムが思い浮かんでくれればいいと思いながら観ている。しかし目の前のラヴェルは、まだ音を見つけられずに苦しんでいる。その苦しさの中で、リズムや音がちょっとずつ観客側には見えてくるのだ、ラヴェルにはまだ見つけかねている音楽のはずなのに。音やリズムを探す擬似体験のような感覚が、映像の中に隠されており、それによって観る側は映画に引き込まれていく。
一方で残念なのは、人間関係がどこでどうなっているのか表現不足に感じられるところだった。
まあ、説明だらけだとボレロに打ち込むラヴェルが映画として薄まってしまうのかもしれないが、そこを観る側に委ねている部分が多すぎる演出に感じたのは否めない。
オペラ座の豪華な様子が映像で見れたのは嬉しかった。エントランスや階段も美しい。
そして、自分が知っているバレエのボレロは、映画に出てきたような演出じゃないので、YouTubeで探したらそうだよ、これだと思えるのはシルヴィ・ギエムが踊るボレロだった。
ご興味があればぜひ探して見て欲しい。これをラヴェルに見せてあげたい。
2024.8.14(M)