こんにちは、はじめまして。
この連載エッセイでは、「食」にまつわるあれこれを書いていきたいなと思っています。しかし私は、食べるのは大好きだけど、食事の質については無頓着。冷凍のタコ焼きを連日食べても、飽きることなく「おいしいな~」と思う派なので、結局は「食」にまつわらないエッセイになる可能性も大です。
どうぞよろしくお願いします。
突然だが、おいしい料理を食べると悲しい気持ちになる。
いや、自宅で一人、冷凍のタコ焼きを食べてるときは、悲しくもなんともなく、単純に「おいしいな~」と思っている。しかし、たとえば親しいひとたちと、ちょっといいレストランに行って、楽しくおしゃべりしながら、とてもおいしい洒落た料理を食べているとき、そこはかとなく悲しい気持ちになることがあるのだ。
おいしい料理で舌も腹も満たされ、リラックスできる相手と楽しく会話して、心地よい充足と刺激を感じている。一言で言えば、「ものすごく幸せな状態」だ。にもかかわらず、ぼんやりとさびしく悲しい気持ちが胸をよぎる。これはいったいなんなのだろう、脳のバグだろうか、と不思議だ。
いったいなぜ、この脳のバグが生じるのか、悲しみを覚えた瞬間の自身の思考を検証してみた。すると、私は概ね、以下のようなことを考えているのだとわかった。
一、おいしい料理を永遠には食べつづけられず、楽しい時間ももうすぐ終わっちゃうんだなあ。諸行無常。
二、こんなにおいしくて楽しい時間があるものなんだなあ。あのひと(亡くなっていたり、もう会えなくなってしまったひとを思い浮かべることが多い)を、このお店に連れてきたら、どんなに喜んでくれただろう。でも、いまとなっては、それもできない。諸行無常。
三、世界には、おいしくないご飯ですら食うや食わずの、大変な状況に置かれたひとが大勢いる。いや、そこまで大きく振りかぶらずとも、もっと身近にだって、さまざまな悩みや苦しみを抱えたひとが確実にいる。にもかかわらず、私は呑気に飯を食って、げらげら笑いながらくっちゃべっている場合なのだろうか? まあ、食べるししゃべるんだけども。諸行無常(?)。
私は平家の落ち武者かなにかなのか。なんでそんなに諸行無常を感じまくってるんだ、いいから集中して飯を食え。
著者:三浦しをん(みうら・しをん)氏
撮影 松蔭浩之