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三浦しをん「なにごとも腹八分目」

2025.03.19 更新

 山形に出張し、山菜料理で有名なお店でコースをごちそうになった。春に採った山菜を塩漬けなどで保存しておき、年間を通して供してくれるのだ。

 先付けからして、さまざまな山菜が器に彩りよく盛りつけられており、とってもおいしい。私が行ったのは冬だったのだが、採れたてみたいな鮮度を保っていて、調理の腕前はもちろんのこと、山菜を備蓄しておく知恵と技法もすごいものだなあと感嘆した。

 接客係のかたが、各種山菜の名称や調理法を説明してくれたのだが、私に山菜の知識がなさすぎて、全然覚えられなかったのが悔やまれるところだ。当然ながら、味も香りも食感も山菜ごとに異なり、しかもどれも美味であることは感じ取れたのだが、名前を忘れてしまったので、なにが一番好みだったかを言い表せない。せっかく山菜のうまさに目覚めたのに、「どれもうまい」という極めて漠然とした山菜沃野が脳内に拓けただけに終わり、自身の不明を恥じる。絶対にまた食べにいき、今度こそ山菜の名前を脳に刻みこむぞと息巻いている。

 コースが最高潮に達するのは、板前さんが「山菜とキノコと鴨肉の鍋」をテーブルで作ってくれるときである。味つけは水と醤油のみだそうだが、山菜とキノコから滋味が染みだし、そこに鴨肉のわずかな脂分も加わって、もう美味! とんでもなく奥深き美味! もちろん締めは、そのお出汁で雑炊です。美味すぎ! そこに至るまでの段階で、すでにありとあらゆる山菜をいただき、おなかいっぱいになったなーと思っていたのに、さらに夢中でお鍋と雑炊をたいらげる。

 しかし、私は鍋をがっつきつつも、板前さん(男性)が大変な美肌の持ち主であることを、ぬかりなくチェックしていた。シミひとつない、すべすべつやつやのお肌だ。これはもはや、基礎化粧品やエステでどうにかなるレベルではない。どこの美容外科で美肌診療受けてるの、教えて!

 同行者も気になったらしく、「失礼ですけど、おいくつでいらっしゃるの?」と遠回しな質問をした。そしたら板前さんは笑顔で、「三十二歳です」と。うそでしょ! 三十二歳も充分に若いけど、あたしさっきから、「お料理の修業をはじめたばかりの板さんなのかな。そのわりには堂々たる調理ぶりだが⋯⋯」と思ってた。つまり、十八歳とか、行ってて二十代前半かと思ってたよ、それぐらいピッチピチの美肌だから!

 我々は辛抱たまらず、「使ってる基礎化粧品について、後学のためにぜひご教示を!」「美容外科にも行ってますよね!?」と、知りたいことの核心について問いただしたのだが、板前さんは困惑した様子で、「水で顔洗って⋯⋯」「いえ、このあたりに美容外科はありませんので⋯⋯」と言うばかりだった。

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著者:三浦しをん(みうら・しをん)氏

1976年、東京生まれ。
2000年『格闘する者に○(まる)』でデビュー。
2006年『まほろ駅前多田便利軒』で直木賞、2012年『舟を編む』で本屋大賞、2015年『あの家に暮らす四人の女』で織田作之助賞、2018年『ののはな通信』で島清恋愛文学賞、2019年に河合隼雄物語賞、2019年『愛なき世界』で日本植物学会賞特別賞を受賞。
そのほかの小説に『風が強く吹いている』『光』『神去なあなあ日常』『きみはポラリス』『墨のゆらめき』など、エッセイ集に『乙女なげやり』『のっけから失礼します』『好きになってしまいました。』など、多数の著書がある。

撮影 松蔭浩之

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