だいたい吉祥寺に住まう

ゆるく楽しく、
都市住まいをする大人のために

2025.02.20 更新

寒空の下で「カンテン」の話

 昨年の夏から秋にかけて、関東、特にわが吉祥寺は酷暑だけでなく雨が少なかったことで際立っていたと思っていたら、その後もなんとも雨なし状態が常態みたいで、気候変動の影響がいよいよ極まってきたのかと思わされています。武蔵野市には、まだ農業を営んでおられる方もおられるわけで、ご苦労がしのばれます。

 どうしたことか、この雨なし、吉祥寺仲間はご存じのように、その後も続いて、暮れから正月を経て今2月も半ばだというのに、ずっとほとんど雨なしですね。1、2回、夜半に少し降ったくらいでしょう。都内ではかなり降ったニュースがある日にも、吉祥寺は降らず。冬型の気圧配置は強まるばかりで。

 我が家の2階からは、西から東にかけての南面の空が見渡せるのですが、ほとんど晴れっぱなしで、いやはや。時に、西から雨雲のごとき黒雲が近寄ってきている様子が見えて、これはひと雨くるかな、と思っていると、おやまあ、黒雲は、三鷹から武蔵境あたりの空から南へと、つまりは調布の方面へと下っていってしまったり。同じ武蔵野界隈でも、地域的な差は多少はあるようです。

 それにしても、1月末からの大寒波による日本海側の大雪は、只事ではありません。私の知人の中にも、越前や越後に住んでいる友人や、あるいはもう40年も前からりんごを直送してもらっているりんご園のある青森など、今年の豪雪地帯に住む人たちがいて、被害がないことを祈るしかありません。電話をしてみたら、緩い斜面に設定してあるリンゴの木々は無事で、雪が多いのでハシゴがいらないくらいだと冗談が出る様子だったので、安心しました。

*    *    *

 ところでタイトルの「カンテン」ですが、最近いささかショックだったのは、「観天望気」という言葉がほとんど死語に近いらしいということです。かなり大きな国語辞典を見て、この表現が採録されていないことを知って、驚くと同時に、もしや驚く私の方が例外的か?と自問した次第。焦って岩波の『広辞苑』を見たら、こちらには出ていました。ただ、日本の大きな辞典では、それぞれの語の起源や由来や用例についてはあまり載っていない方が一般的で、それらについて言及されているのはわずかな表現に関してのみだ、という点が、残念です。いや、こんなことを残念がる私が、やはり例外的なのかも知れません。

 観天望気というのは、見て字の如しですが、天空を見る、気を望む、というわけですから、空の雲の種類や様子、その動きや、風の向きや温度、湿度、それらの変化などを見たり感じたりして、このあと天気がどのようになるだろうか、その傾向を予測する、そういう一種の地域的な文化技術です。入道雲がモクモクとしている様子などは、わかりやすい例ですね。

 だいぶん前のことですから、正確にアフリカのどの地域の話であったかは記憶していませんが、新聞の特派員による記事で、その記者が探訪したアフリカの一地域の古老が、サバンナの草原の遥か先の方を見ながら、じきに砂嵐が来るから避難した方が良いよ、と言うので、記者は、空はまだ青く澄んでいるのになあと思って半信半疑、小屋の中に戻ったら、しばらくして本当に砂嵐が通過したので驚いた、と。古老は、おそらくちょっとした風向きや湿り気の変化や空の色の動きなどから、経験的に見抜いていたのではないか、というのです。ありうる話です。日本でも、スマホなどない時代に登山ないし山歩きをかなり経験している人には、地域的な観天望気の話が伝わっていることは珍しくなかったでしょうし、実際に繰り返し同じ地域で登山などをしている場合には、経験的にも観天望気に近い感覚は身についたりするものだと思います。中途半端だと、かえって危ういこともありえますけれど。

 「西の空が夕焼けで赤いと、翌日は晴れる」とか、「夕焼けは晴れの予兆、朝焼けは雨の予兆」、「月や太陽がカサをかぶると雨になる」とかの表現は、なんと古代ギリシアの知識人の記述にもあるという記事もありました。私はそれらを現物の書物で確認はしていないのですが、ありうることです。時代が遡るほど、人は今以上に、天候の良し悪しに左右される生活条件の中にあったはずですし、農林水産業や、航海での通商や外交がメインであった時代には、今以上に天候が気になり、機械類はない時代には、それでも先行きを判断するには経験則を伝えることが大切だったはずですから。

 この連載の第10回、もう2年ほども以前のことですが、フランスのドゥルノンという著者による、ことわざや伝承の辞典について書いたことがあります。フランスでも実は、こうしたメテオ(フランスでは気象学や天気予報のことをメテオロロジーと言い、その略称がメテオです。テレビなどでの天気予報はメテオで、市民はメテオにかなり敏感ですね。一つには天気が変わりやすい傾向があるからかもしれません)に関する諺や伝承は、各地に独自に伝わるものが多かったとして、ドゥルノンは何ページにもわたって過去の事例を列挙してくれています。残念ながら、どの地域での伝承かは明示されていないのですが。

 そのいくつかを紹介してみますと、「夕焼けは好天になるしるし、朝焼けは悪天になるしるし」とあり、これは日本とも共通です。「蜘蛛が網を張りだせば、天気は悪くなる」というのは日本ではあまり聞きませんが、悪天時には虫が低いところを飛ぶようになるので、蜘蛛が木と木を渡すような網を張りだす、というのでしょう。「カエルがよく鳴いていたら、次の日は天気はダメ」というのは、日本にも共通するものはありそうです。「カタツムリが歩き回っていたら雨になる」というのは、日本にもありそうですが、私は聞いたことはありません。「コウモリが多く飛ぶ夜は、暗くても天気が良くなっていく」というのは、日本では聞いたことはありませんが、フランスでは現在でも、地方に行くと、コウモリが飛び交う地域は少なくないようです。吉祥寺でも、20世紀末に我が家の庭の上を夕方、家コウモリが輪を描くように飛ぶ姿が、時折まだみられました。私が小学生の頃には、もっと頻繁に目にできたものですし、家コウモリがバッタを捕まえるところを押さえた猛者も、仲間のうちにはいたものです。昔話ですが、今では。フランスでの「1月に暖かい太陽が一杯だと、穀物蔵が一杯になることは絶対にない」という伝承などは、寒冷期に適度の雨が降らないと小麦(冬麦)の生育が順調にいかず、不作につながる、という伝承なのだと思われます。日本でも農作業の暦と連関した天候のことわざはありそうです。

記事一覧

著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)氏

学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長

1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。
著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。

地中海世界の歴史5