この秋は、気候や気温が、まるでジェットコースターに乗ったみたいだ、なんて10月に書いていたら、東京では12月に入って好天続き、こんなにお天道様が毎日顔を出してくれたことも珍しいのだとか。おかげさまで、遅ればせの紅葉が日の光を受けて見事でした。
「でもね」と、文句爺さんは言いたいのです。僕らの住む吉祥寺でいえば井の頭公園とか、都心では神宮外苑や日比谷公園に上野の山、郊外に出れば府中のけやき並木や立川は昭和記念公園の銀杏など、公園の木々の紅葉は、無理にライトアップなんかしなくとも、初冬の日の光が射しこんでくれたりすれば、それは実に見事なものです。しかし、人混みにわざわざ出かけて愛でるより、日々の暮らしの中で家の周りやオフィスへの道筋などで、普段着で立っているような木々の紅葉が目を和ませてくれる、という風情があれば、もっと心はゆったりと休まるのではないかなあ、と。そういう気が募るほど、東京やその近郊では、町並みから木々が姿を消して緑が激減しているように感じています。かわりに増えているのは、同じようなビルディング。それも郊外では、駅周辺には商業ビルや、いわゆるマンションと呼ばれる集合住宅が多いような。それも、規制がかけられていないところでは、人口減少が顕著なこの地震大国で高層ビルですからね、なんともはや。
武蔵野市は地区ごとに建蔽率や容積率の規制がありますから、野放図なビルの氾濫はないとはいうものの、緑の減少は例外ではありません。僕は第一小学校の2年生に入学して以来この吉祥寺に住んで、なんともう70年超なのですが、減りましたねえ、町のなかから緑が、井の頭公園とその周辺の緑が救いとは言え。最近、やたらと埃っぽくなったなあ町が、と思っていたのですが、それも、こうしたことと関係あるのかもしれません。
確かに、庭木を維持するには、小さくとも庭がないと話が始まりませんし、剪定や水やりなど、面倒を見てあげなければいけないので、手間がかかります。植木屋さんに頼めば、お金もかかります。でも、よほどの広い庭でもなければ、私のように金持ちじゃあない人でも、昔からこの地に住んでいる人間にはまあまあ可能です。しかし地価の値上がりは、新たに住もうかという方には庭も十分には取れない広さでないと、とんでもない金持ち以外は住めないような具合になってきているようです。勢い、ミニ開発みたいになってしまう。土地転がしで儲けようなんて気のない、昔から住んでいる人間には、地価の高騰は税金が上がるばかりで嬉しいことはゼロ。人口減少がかなりの速度で進行している日本で、東京に一極集中するから余計なのでしょう、土地の値上がりとビルの増加と、町のなかからの緑の激減は。
武蔵野市もそうですが、都市の中でわずかに残っている農地や緑地が、頑張って存続してほしいなあと願います。あたりまえに舞っていたモンシロチョウが、すっかり姿を消してしまった昨今です。キャベツ畑がなくなれば、モンシロチョウだって姿を消すわけで。花や実を摘み、チョウチョやバッタも追いかけたことなく大きくなる子供たちは、私らからすると可哀相に思うのですが、それはもはや、旧世代の片想いの一種なのかもしれません。
なんてことを、庭の枯葉を掃き集めながら、ボーッと考えているうちに、やはり冬は来ます。日本海沿いや北海道では、突然の大雪が降り出して、津軽海峡ならずともあっという間に冬景色。これは以前からよくあることではありますが、その地の方たちは慣れているとは言っても、対応に追われて大変です。
最近では、スキー旅行は下火で、スノボの方がメインらしいですが、僕らが若い頃は、スノボはまだない時代でしたから、もっぱらスキーでした。その頃から、今年は雪が少ないねえ、もしかしたらまだ滑れないかもしれないね、なんて言いながら12月のスキー場に出かけると、或る日突然、冬将軍がやってきて山に雷が鳴り、ドカ雪が降りだして、今度は鎮まるまで滑れない、なんてことも一度ならず経験したものです。そういうときには、温泉の出るスキー場が湯治気分で悪くないなんてことも。
ここで話は転じますが、三浦しをんさんの小説⋯[続きを読む]