8世紀の中国の詩人、杜甫が、古来稀だという意味で「古稀(古希)」とうたったという70歳は、社会によって差はあるでしょうが、今では日本はじめ、もう稀ではなくなっている国も珍しくはありませんし、中国でも、現在ではそうでしょう。さらに日本で77歳を「喜寿」というのは、喜を崩して墨書した略字体が、七が三つで七十七に似ているから、ということなのですが、80歳を「傘寿(さんじゅ)」というのも、傘の略字体が八と十を縦にくっつけたように記されたことから言われるようになった、とされています。古希と同様に、長寿がまだ当たり前ではなかった時代だったからなのだろう、とは想像できますが、これらがいつからのことか、杜甫の詩のような明確な起こりが確認できるのか、それは、私にはよく分かっていません。
日本社会では、88歳が漢数字では八十八で、組み合わせると「米」の字になるから、それに八の字体は末広がりでめでたい、ということから「米寿」というのは、現在でも普通によく知られていますし、日本社会が米を主食としてきたから、ということとも関わっているのでしょう。卒の略字体が「卆」ということで、90歳を「卒寿」といって祝うとか、百の字から一をとれば「白」となるので99歳を「白寿」といって祝う、という風習も、喜寿や米寿と似た考え方ですが、長寿が珍しくなくなってきた現在の日本社会では、しばしば耳にするようになってきました。私の身近にも、大学での大先輩や家内の母親など、白寿の方やそれに近づいておられる健在の方は、何人かおられます。
こうした年齢に絡むそれぞれの風習が、いつ頃から起こったものなのか、これまであまり調べてもきませんでしたし、私にはよく分かっていません。いくつかについては、中世から起こって近世、江戸時代に広まったという、民間習俗研究家の説明をみますが、伝承以外にどういう典拠があるのかまでは、よく分かりません。それでも伝承されているのは、誰にも、生きることにこだわりがあるからでしょうか。
19世紀から本格化していったヨーロッパにおけるフォークロア研究、いわゆる民俗学の誕生と発展についても言えることですが、人びとの日常的な生活習俗に属することでは、それらに関する興味や研究が大きくなり始める以前に調査がなされ、書物などに記述が正確に残されることは、きわめて稀なことなのです。今だって、日常生活で当たり前になされていることを、当事者自身がいちいち記録するのは、よほどのメモマニアでもなければ、あまりないでしょう。まして、時代をさかのぼれば、紙も筆記具も貴重品ですから、現代とは条件が違います。記録が残された場合は、民間での生活習俗が時代の求める倫理だとか信仰だとかに合致しない、修正すべき事象だとみなされて調査対象にされた場合や、もっとひどい場合は、教会による異端審問の材料にされるような場合でした。
19世紀以降については、確証できない起源にこだわる探究は、下手をすると、ひたすら我田引水の愛郷主義や、閉鎖的な愛国主義に囚われて、自己満足しているだけの排他主義にも陥りかねないことになります。正確に判明していないことは「正確には分からない」と言うのが、取るべき姿勢でしょう。ヨーロッパでも、19世紀半ばからのフォークロア研究の興隆は、偏狭なナショナリズムが高揚してくる動きと際どく同時代現象で、フランスでは、古代ガリア(フランス語だとゴロワ)礼賛のような傾向も現れますし、ドイツでは古代以来のゲルマンに結びつけたゲルマニア礼賛から、偉大なドイツというイメージが、統一帝国形成のシンボルとして利用されたりしました。もちろん、だからと言って初期のフォルクロリスト(民俗学者、民間習俗研究者、民話研究者、あるいは民族学者など、いろいろな訳し方が可能なような呼び方が、当時なされていました)たちが、皆が皆、排他的なナショナリストであったのでないことは言うまでもなく、自身が暮らしていた地域を中心に活動をしていた学校の先生をはじめとした、地域的な知識人たちだったのでした。フランス映画で、以前にジャン・ギャバンやベルモンドなどの、渋い男優たちが粋にしていた「くわえ煙草」で有名な「ゴロワーズ」という銘柄の、香りのきつい両切りのタバコは、1910年から発売されて爆発的に売れたフランスの大衆向けヒット商品でしたが、これなども当時のフランスに流行していたガリア起源ブームを踏まえた命名だったのです。