1年前の随想には、いったい何を書いていたのだろうか、と思って自分の文章を振り返ってみたら、「今年の9月は、異様な酷暑の連続でした」という書き出しでした。21世紀に入って、9月はまだ秋とは名ばかりの状態が続いて、なんともはやですが、8月の前回でもふれたように、気候変動による地球の環境劣悪化は、いよいよ深刻な状態になってきていると、改めて重い気分で思わされる現実です。以前でしたら9月も進めば、時には澄んだ青空も高く、いわし雲などが浮かぶ風情を眺めて、ゆったりした気分になることもあったように思いますが、今や眩しくて、それどころではありません。
そうして、今年もまた昨年以上に、実感としては「まだ真夏なの?」という日々を、9月から10月はじめまで、列島の多くの場所が経験したと思ったら、まるで大気の寒暖ジェットコースターに乗ったみたいに、真夏と晩秋の間を行ったり来たりとなりました。それに、西日本や北陸のいくつかの地域、特に年初の地震から立ち直りつつあった能登が、9月には台風などにからんで線状降水帯が居座って激甚的な水害に遭遇したのは、何ともお見舞いや激励の言葉にも窮する事態です。
* * *
言うまでもなく、秋は、実りの秋でもあって、挙げればきりがないほどいろいろな果実や、大豆・小豆などの新豆も店先に登場し、そしてもちろん稲作の収穫期でもあります。秋蕎麦の花が畑一面に淡く白い広がりを見せている様は、控えめに秋の到来を告げてくれるように、落ち着いた美しさを感じさせてくれます。
松尾芭蕉は、「蕎麦はまだ花でもてなす山路かな」と言う綺麗な句を残していますが、初秋の信州か北陸での情景でしょうか。私自身がそうした情景を目にしたことがあるのは、ほんの秋口の、越後でのことでした。芭蕉の句は、黒い小さな実を収穫して乾燥させ、新蕎麦にして供するには、まだもうすこし時がいるということを、白い花群れに託して歌ったのでしょう。収穫後に打った新蕎麦は、ことのほか香りが良いものです。芭蕉は徳川時代前期、17世紀後半の人でしたが、「奥の細道」の旅に江戸を出立したのは、没する5年ほど前の40代半ばのことで、すでに彼は芭蕉翁と称されていました。江戸期には年配の男性に対する「翁」という尊称が、この年齢で与えられていたのですから、今と比べれば、老成するのがえらく違って捉えられ、表現されていた、ということなのでしょう。
ただ高齢まで生きていれば良いのか、という発想もあり得ますから、現代とどちらが良いか、優れているか、という単純な価値の比較などは、あまり意味ないと私は思っているのですが、食生活の変化や医療、あるいは衛生面や居住のあり方など、生活条件全般の変化によって、寿命がえらく延びてきたことを示しているという点は確かです。それは、もしかしたら、その時代を生きる人びとの心性のあり方にも、微妙にかかわっているように思われます。ただ、そうした点について、資料などを介してどう読みとり、議論できるかは、簡単ではありません。