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2024.06.20 更新

パリ・オリンピックと大鯰

 ええ? 大なまずとオリンピックがどう関係するのだ! なんておっしゃらずに、ちょっと耳を、いや目を、お貸しください。

 6月も半ばを過ぎて、パリ・オリンピック開催までほぼ一月、という時期になりました。かつてはアマチュア・スポーツの祭典と言われたオリンピックは、選手のアマとプロの境界線が競技によっては不分明になって、入り混じるなか、七〇年代からはビッグイベントとしての商業ベースの話が絡みすぎて、スポーツファンの僕らにも閉口する面が見えるのは残念至極。とくに、組織運営側で不正に儲けようとする者が暗躍する醜悪な姿は、東京大会でも繰り返されて、うんざり暗然とするほかありませんが、それでも世界のトップ・アスリートたちがフェアに競い合って、切磋琢磨する姿は、素晴らしい。パリでは、どうなるでしょうか。

 そのパリで、目玉の一つとされて話題になっているのが、セーヌ川を利用した開会式典と、一部競技ではアスリートたちの水泳にも活用されるというプログラムであることは、すでによく知られています。そのために、環境保全という現在の地球的課題とも密接に関わっている水質改善に取り組んできて、その成果はかなり上がっているというのが、パリの開催組織側の主張のようです。それでも、悪天だったらどうするかとか、何か不測の事態が生じる可能性が判明したらどうするかといった、セーヌ川を使用しない開会式典の第2、第3の選択肢も、用意されているのですという説明を、担当役員の女性がしている映像が、日本の国際ニュースでも流されていました。そりゃあそうでしょうね、と納得。

 一方、セーヌ川の中から何か大きな生き物が突然姿をあらわして、泳ぐ選手たちに襲いかかる、などという不謹慎な悪い事態を描いた映画が、ネットフリックスで用意されているという、なんだか嫌な話も、5月末の『ル・モンド』というフランスの新聞には話題として紹介されていて、なんてこったと思いました。その記事では、オリンピックとは直接関係なしにだいぶん以前に、パリの映像作家養成機関で作家志願者の一人が、パリを流れるセーヌ川で釣りをしていた人物が巨大な生き物によって川に引きずりこまれるという、そのような映像ストーリーを発表していた、それが無断使用された可能性がある、要するに剽窃ひょうせつされたのではないか、というその映像作家志願者による告発がなされている、というような脈絡での記事だったようです。確かにパリとその近辺のセーヌ川やマルヌ川では、かつても今も、釣りをする人を見かけることは珍しくありません。川に引きずり込まれた姿を見たことは、もちろんありませんけれど。

 他方では、この種の話は、かつてスピルバーグの出世作ともなった『ジョーズ』というハリウッド映画を思い起こさせます。海岸で海水浴を楽しむ老若男女を、沖合から潜行してきた人食いザメが突然姿を現して襲撃する、という、現在でも現実にありうるような話と、その人食いザメを退治しようとする青年たちの戦いのストーリーを彷彿させるものでもあります。

 『ジョーズ』が全世界で上映されて話題になったのは、ちょうど私が20代末でフランスに留学中のことでした。たしかフランスでは『ジョーズ』は、『レ・ダン・ド・ラ・メール(海の牙)』という、具体的だがかえって素気ないようなタイトルがついていたような気もしますが、この記憶は確信なしです。前回の洗礼とゴッドファーザーに関する私の話に登場していたファデフ夫妻と、こちらも結婚直前の二組のダブルカップルで、映画好きのファデフ夫妻に付き合って、並んでこの『ジョーズ』の画面の、本当にありうると思えた恐ろしい人食いザメの出現とその効果音とに、いやが応でも恐怖心を煽られたのは、よく覚えています。もう半世紀も前か、と思うと、それもまたゾッとしますけれど。

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著者:福井憲彦(ふくい・のりひこ)氏

学習院大学名誉教授 公益財団法人日仏会館名誉理事長

1946年、東京生まれ。
専門は、フランスを中心とした西洋近現代史。
著作に『ヨーロッパ近代の社会史ー工業化と国民形成』『歴史学入門』『興亡の世界史13 近代ヨーロッパの覇権』『近代ヨーロッパ史―世界を変えた19世紀』『教養としての「フランス史」の読み方』『物語 パリの歴史』ほか編著書や訳書など多数。